引越しは進んでるかい?
と聞かれたら、
引越しは進めました
と答えよう。
今日は休みだった。
単身の引越しは3回目。
相変わらず荷物は多くて単身パックで2本になってしまったけど、さすがに何回か引越ししてるだけあってだいぶ荷物もこなれてきた。
モノを買う時、高いとためらってしまうけど、最近は値段が高くても納得するものを買うようにしてる。法外な値段でなければ、吟味して高いが良いものを買うのは、長い目で見た時に大事に使うからだ。安いものは結局ぞんざいに扱ってしまうし、そういう意味でコストパフォーマンスが良くない。即断即決も良くない。私の場合は、ピンと来るのだけど、いま買わなければ買えなくなるものでなければ1~2日の冷却期間を置いて買うことが多い。時間をおくことで客観的にそれを買いたいと思っているのかを判断できるし、購入後もじっくり考えて買った気持ちがあるので、後悔はほとんどしなくなった。 迷った時はいったん引くか、買わない。逆に消耗品は逆に安いものを買う。大体どれくらい使うか見積もって、それくらいで捨てようと思って買う。
今回の捨てるものも、迷ったら捨てた。
迷ったら捨てたんだが、捨てるかどうかいまは判断できない、というものは取っておいた。
札幌に来る時、9年間住んだ家に溜まったいろんなものを思い出と共に捨てた。
あまりに長く住んだので、モノ自体もかなり増えて苦労したけど、いろんなところに記憶の断片が転がっていてそちらの面からモノの処分に困った。
▲母親がかわいいからつい買っちゃった、と言ってくれたふぐの形をした紙風船。
自分が大人になって、近い目線で話せるようになると、親が等身大に見えるようになる。
いろいろ母親なりの苦労を抱えてるのを思い出してしまって、やっぱり捨てられなかった。
いつでも会えると思っていても、実は親と会える時間というのは意外と少ない。
未来から逆算してみればよくわかる。
親って自分と似てるところが多いから、実際いらっとすることは多いんだけど、
それでも母親が「娘を産んでおいてよかったわあ」と言ったときには、やっぱり人は一人じゃ生きてけないよな、とその時思ったんだった。
今回パスポートの更新で5年でなく10年パスポートに更新したのだけど、それは独身を貫くという意思表示でもなんでもなくて、ただ、運命とか縁とかってのがあるなら、きっと会うべくして会うんだろうから気長に待とう、という気持ちの表れのつもり。
結局モノの選び方も人の選び方も、似てるんだな。
人にモノをもらうのはあまり好きじゃない。
たいてい、もらった時の記憶がそれに染み付いているから、捨てられない。
昔は人にモノをあげるのが好きだったけど、
結局それは自分を押し付けていただけじゃないかな、といまなら思う。
だから最近は、人にものをあげるときには消えるものか使われるものにしてる。
そうすれば、余韻が残ってモノは残らないことが多いから。
この辺の感覚は人によって違うと思う。
私は人からもらったものは基本的に捨てられない。
情が移ってしまうから。
でも、ばっさり捨てなきゃいけない時もある。
そういうときは思いだす前に瞬間的にいる・いらないを判断して捨てる。
思いださない。
そうして捨ててみると、案外なんてことなかったりする。
モノの扱いって、結局人の扱いに通じてる気がする。
そんなことを思いながら、中華飯店「烈」の海老味噌ラーメンを食べた。
ここの海老味噌ラーメンは生の海老ワタじゃなくて粉砕した海老粉を使っているらしく生臭くない。
おばちゃんは私がもう来ないなんて思わないだろうな。
私が居なくなっても、ここでは毎日同じような時間が続いていくんだろう。
でも同じようにみえるけど、世界は毎日少しずつ変化してゆくんだね。
最終出社日まで、あと3日。