自転車で行こうよ【北海道編】

そめやんぐに贈る。

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旅の終わりを決めるのは時間か、金か、それとも抜き差しならない何かであって、結局のところ人は自分の意思だけで旅行を終わらせることなどできないし、生きていくこともできない。

かつて彼は、自転車で走ることが宗教に近いと言っていた。
周りの人には、分かってもらえないだろうから
「自転車好きなんですよね~」とかいってヘラヘラ笑っていた、と。

今の自分にとっても自転車で走ることは宗教に近くなってしまった。


なぜそんなにまでして毎日毎日自転車に乗るのか、と聞かれたら、
目の前に道があるから。
と、そうしか答えられない。
実際にはそう言わないけど、結局のところそれに行きつく。
カッコつけでもなんでもない、本当にそれだけ。

自分が社会の中に組み込まれると、
自分の意思で決めなきゃいけないことがたくさんあって、
自分の意思で決めてもどうにもならないことがたくさんあって、
自分の周りの様々な環境がぐちゃぐちゃと絡みあって、
誰かに相談したところで何も解決しないことがたくさんあって、
ただ、ただ、とにかく今はできることを精一杯やって前に進むしかない、
なんてことはたくさんある。

結局自分の意志だけでは人生の行き先を決めることもできないし、
結局自分一人で生きていけるなんて考えは、、、まるで蜃気楼のような幻だ。

中学生の時、
高校生の時、
大学生の時、
いつでも答えが出なくて苦悩した。
でも、答えがあることなんて世の中にはほんの少ししかないんだよ。
といったのは物理の先生だったか、誰だったか。

どうしてそんなにまでして自転車で走るのか?
それは目の前に道があるから。

道の先に見える何となくぼやけた、でも確実にある何かに向かって、
今はひたすら前に走る。
走って走って、自分の限界を感じながら、それでも走って。
なにか大きな流れに呑まれていることを肌で感じながら、
逃げるためじゃなく、向き合うために、ひたすら前に進む。

結局、自分が自転車に乗って走るのは、自分自身のためであり、
自分が自分であることを確かめるための手段なのかもしれない。
楽しい毎日とか、漠然とした不安とか、予想外の困惑とか、
次々と変わりゆく環境の中で、弱い自分が自分自身を保っていくためには、
ただひたすらにペダルを踏んでいくしかない。
文句を言い、愚痴を言い、もういやだと言えていたあの頃は、
ずいぶんと周りに甘えさせてもらっていたんだと、ようやく分かるようになった。

自転車で世界一周をしていたそめやんぐ、こと染谷翔さんの旅は予想外の展開で幕を閉じてしまった。
すごくショックな事実に動揺を隠しきれなかったけど、それ以上に共感する何かを感じた。
いつもの日常がこの先も変わらずあるなんて、それは幻にすぎない。
物事も環境もそして自分も、刻一刻と移り変わっていて、
なにかに捉われてる暇なんて、本当はない。
だから目の前の今を全力で走りぬけるために、今日も走る。 
そして彼はきっと、また走る。そんな気がする。

そめやんぐに贈ります。

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