とっぴ過ぎて意味不明だと思うけど、
新しい世界を知ることをイチゴに置き換えたらちょっとしっくりきた。
進学にしろ、就職にしろ、事業拡大にしろ…
新しいことを始めるときはそのことをある程度「想定」するわけだけど、まあ結局は百聞は一見に如かずで、あ~全然見えてなかったなー、と後から思うもんである。まあそういうもんだし、それが悪いこととは思わないけど、「想定」が絶対だってどこかで信じてると、実は違ってましたーで、「やりたいことと違うし!」と落ち込んで腐る原因になりかねない。チガッターをうまく変換できる人はいいけど、腐るのはまずい。けど、多いらしい、こういうの。
新しい世界がイチゴとしたら、自分ができる想定範囲はたぶんイチゴの種程度。イチゴがどんな味なのかを想像しても、味も匂いも、すべては妄想に過ぎない。それで、結局見た目から「どーれーが いーかーな?」とするわけである。普通は味見もできないので見た目で選んで買って帰るわけだけど、実際に家でかじってみるまで本当の味は分からない。見た目はおいしそうなのに食べてみてまずかったら、「見た目と違う、詐欺だ!」なーんて怒る人もいるかもしれない。けど、期待しないで適当に買ったら「意外と見た目よりうまいじゃん」ということもある。そんな時はすごくお得な気持ちになって、その人はもっとイチゴが好きなるかもしれない。
…ま、なんだかんだ言ってもおいしいかどうかは結局食べなきゃ分からんので、ごちゃごちゃウンチクたれる前にまず食ってみろというわけだ。頭を使って想像してみたところで、最終的に口に入れてモグモグして味を感じないことには何も言えない。何事もとりあえず食べてみることから始まるのかも。
実際の味(実際値)-予想してる味(期待値)=満足度
顧客満足度の式を少しアレンジした。
これはマーケティングの本に書いてあったことだけど、いろいろ日常に当てはまることが多い。
たとえば最初の期待値が100でも実際値も100なら顧客満足は0、つまり満足なしとなる。もちろん実際地が90でも期待値以下なら満足度はマイナスだ。逆に期待値が0で実際値が100なら結果が前者と同じであっても満足度100であり、高くなる。ほっほー、期待以上のことがあるとうれしいのはそういうことか。
さて、問題はここからなんだけど、満足度が100のものもそのままずっと100のままではいられない。時間と共に劣化するか価値に馴れてしまう。いくらおいしイチゴでもまずいイチゴでも、よっぽどでなければそのうち味になれるんだよね。だから常に満足度が100以上になるように努めて初めて満足度100の「体感」が得られるのではなかろうか。だからリニューアルってのが存在するんだろう。
新人でいえば、最初のフレッシュな感情ってのはだんだん馴化(じゅんか)されていって、自分の中の標準値ってのが分からなくなるもの。感覚ってのはもともとそういう性質があるし、特に味覚は相対的な感覚なので、ある基準と比べて良ければ「うまい」、悪ければ「まずい」と判断される。(逆に視覚は絶対値。)だから、意識的に標準を気にしていないとどんどん感覚がずれていってしまうというわけ。これが「初心忘れるべからず」という言葉の意味だと思う。もちろん、基準は悪いほうばかりではなく、いい方向にも行くけど、他のイチゴも意識して客観的に評価する気持ちが大事だってことも忘れてはいけない。じゃないと昔はおいしイチゴだったけど、少しずつおいしくないイチゴになっていってるかもしれない。もしくは周りがもっと美味しいイチゴになってしまって今やぱっとしない味になってるかもしれない。もしくは、周りよりおいしイチゴだって自分で気づいてないかもしれない。
周りを意識し続けるってのは大変なことだなあと思う。
特に、馴化(じゅんか)は無意識に起こるものなので、はじめは違和感があってもだんだんと馴れて楽チンな方向に行ってしまう。ちょいと馴化されてきてたので引き締めねば。しかしイチゴパックの隅っこでみんなして腐ってしまってるものを新鮮に戻すことはできるんだろうか。自分も腐らぬようにうまく鮮度を戻す方法はないんだろうか。カビたイチゴものは引っこ抜くしかないんだろうか。んー…押してダメなら引いてみろ、引いてだめなら…さてどうしよ?